靴拓 魚拓ならぬ靴拓、メーカーのこだわりを見ることができるシューズのソール

TriCraft:エアロビクス&フィットネス情報
Sponsored Link

NIKE

1964年、アメリカのオレゴン大学陸上部のコーチであったビル・バウワーマンと同部の中距離ランナーであったフィル・ナイトが日本製のシューズであるオニツカ・タイガー(現アシックス)を輸入販売する「ブルーリボンスポーツ社」を設立する。
設立時双方500ドルを出資したといわれている。1969年から自社生産を始める。
1971年、ブルーリボンスポーツ社の第1号社員であるジェフ・ジョンソンの夢の中に、 ある日の夜突然、「ギリシャの勝利の女神、ニケ」が現れたことからブランド名を新たに「NIKE(ナイキ)」とした。
また、当時フィル・ナイトは、ポートランド州立大学で会計学の教鞭をとっていた。そこで、グラフィックデザインを専攻していた学生、キャロライン・デビッドソンに出会い、ロゴマークを依頼した。出来上がったのがお馴染みのSWOOSH(スウッシュ)である。
デビッドソンがナイトに請求したデザイン料は一説には35ドルだったと言われている。
1972年、バウワーマンがワッフルの焼き型をヒントに「ワッフルソール」を開発し、これを採用したモデル「ワッフルトレーナー」は1974年に発売され、ベストセラーになり、「ブルーリボンスポーツ社」は大きく成長する。
1978年、社名もブランド名にあわせ、「NIKE」とした。
特殊ガスを注入したウレタンをソール部に内蔵した「エアークッション・システム」を導入した「エアージョーダン」、「エアーマックス」が1980年代大ヒットした。
また、テニスのジョン・マッケンロー、バスケットボールのマイケル・ジョーダン、ゴルフのタイガー・ウッズなど契約選手の活躍もあり、「アディダス」と双璧をなす世界的巨大スポーツブランドに成長した。

ナイキ エア・ジョーダン

ナイキのエア・ジョーダンは、バスケットシューズのひとつで、名称中の「エア」は同社が有するソール用のエアクッション技術を用いた運動靴シリーズであることを意味しており、シリーズ名としての「ジョーダン」はNBA選手「マイケル・ジョーダン」とのコラボレーションであることを意味しています。
また、マイケル・ジョーダンのニックネームがもともと“エア”であった(ジャンプの滞空時間が長かったことによる)ことともかけています。
もともとバスケットシューズとして発売されたのですが、NBAおよびバスケットボール自体のスポーツとしての人気やマイケル・ジョーダン本人の人気、商品が持つ優れた機能性とデザインなどのさまざまな要因によってヒット商品となりました。

ナイキ ズームエックス ヴェイパーフライ ネクスト%

2019年7月に登場したナイキのズームエックス ヴェイパーフライ ネクスト%。国内外のトップランナーがこぞって着用し、立て続けに好記録を樹立することとなり圧倒的な支持を集めています。
特徴としては、反発力に優れたNike Zoom Xフォームに挟まれた軽量のカーボンファイバー製プレートにあります。
これらのプレートとフォームが連動することで足を前に押し出す感覚が生まれ、走りにスピードを加えています。
このような機能を付加していけば、本来ならシューズは重くなるところですが、アッパー部分の素材を軽量化したことで、シューズの重さは変わらないということで市場での支持となっています。
2020東京オリンピックを前に厚底シューズ論争の中心となっています。

ADIDAS

ドイツのニュルンベルク近郊のヘルツォーゲンアウラッハで靴工房を経営していたクリストフ・ダスラーは、子供のルドルフとアドルフの2人の兄弟に対して、その跡を継ぐために修行をさせた。
2人の兄弟は、水車小屋のフェルト屑とゴムチューブでスリッパを作って各地の市場で販売していた。
1920年、「ダスラー兄弟商会」を設立し、主に兄のルドルフが販売を担当し、弟のアドルフが製造を担当していた。
1924年、これまでの技術を応用して、靴紐の変わりにゴムの付いた革底の体育館シューズを開発し、翌年地元の体育協会が1万足を注文したことで利益を上げ、工場の増築が図られるようになった。
その後、世界的なスポーツとなりつつあったサッカーで使用するスパイクや知人で陸上競技のコーチであったヴァイツァーの提案による陸上用シューズの開発を行い、世界恐慌になりかけていた1928年には実に8000足を売り上げ、同年開催されたアムステルダムオリンピックでも参加者の多くはこのダスラー兄弟紹介の靴を使用していた。
しかしながら、当時のドイツは、第一次世界大戦の敗戦で各国から巨額の賠償金を請求され、ハイパーインフレーションやフランスのルール占領などにより極度に弱体化が進んでおり、1929年の世界恐慌によって深刻な経済状態へ陥っていた。
ダスラー兄弟商会もそのあおりをまともに受けて経営危機に立たされたが、1936年のベルリンオリンピック開催が決定すると、原料不足になるほどまで売り上げが急上昇していった。しかしまた、第二次世界大戦の影響で一旦生産が規制されるようになり、1942年、兄のルドルフも兵役に徴兵された。

1948年、兄弟喧嘩で袂を分け、ルドルフは「ルーダ」(その後の「プーマ」)を設立し、アドルフは「アディダス」を設立した。「アディダス」とはアドルフの愛称「アディ」と「ダスラー」をつなげたものである。トレードマークの三つ葉マーク(トレフォイル)は古代ギリシャの祭典で勝利者に与えられた月桂樹の冠をモチーフにしたもので1972年から使用されている。
1965年 テニスシューズ「ハイレット」を発表。これが後のスタンスミスである。
1970年 オールレザーのバスケットシューズ、「スーパースター」発表。
1997年に3本線が公式ロゴとなった。現在では、「ナイキ」と並ぶ巨大スポーツブランドである。

アディダス スーパースター

アディダス スーパースターは、今ではアディダスを代表する名作スニーカーのひとつで、1969年にバスケットボール用のシューズとしてデビューしたのがはじまりです。
これまでのバスケットシューズは、コンバースのバスケットシューズに代表されるキャンバス製のスニーカーが主流でしたが、スーパースターはオールレザーでの登場でその軽快な履き心地でNBAチームのサンディエゴ・ロケッツが着用したことをきっかけに、バスケット選手のあいだで人気が爆発しました。
1970年代半ばには半数以上のNBAプレイヤーがスーパースターを着用するほどコート上を席巻し、そのコート上でのパフォーマンスはもちろんのこと、デザインにおいても当時からすでに好評を博していました。
アッパーのサイドのアディダスの象徴でもあるこの3本ラインのデザイン「スリーストライプス」は、ひと目でスーパースターだとわかる最大の特徴で3本ラインのあいだにベンチレーションホールを5つでオールレザーの清水における通気性を確保している点にも注目です。

Sponsored Link